- 感染拡大を抑制するために、無症状者を含め感染者をできるだけ多く見出し、感染予防に努めるべきであり、そのためには、大規模PCR検査体制の整備が必須である。
- 検査の対象集団としては、感染の可能性が考えられる人達や、医療従事者や社会のインフラを支えるessential workerと位置づけられる人達に対してPCR検査を積極的に行うことに加えて、市中感染が蔓延して有病率が高くなっている地域に対しては、地域住民を対象とした大規模PCR検査を積極的に実施すべきである。
- PCR検査の陽性的中率を高めるために、PCR検査の特異度を高めることが重要であり、全自動PCR検査装置の導入が有効である。
- 全自動PCR検査装置は、1度に処理できる検体数が大きいこと、ヒューマンエラーを最小化できることから、積極的に導入すべきである。
- 検査の受付から、全自動PCR検査装置を用いた解析、検査結果の集約、データベース化まで、一気通貫の体制の構築が必要であり、必要な試薬キットの確保、オペレーションを担当する検査技師、IT関係の人材、全体のオペレーションを統括する人材の確保が必要になる。
- 本年2月の時点で、機器、試薬の供給が極めて逼迫していたことを考えると、全てを海外からの供給に頼るのではなく、国産の装置、試薬の供給体制を拡充していくことも、国策として必要であると考えられる。
- このような大規模な体制を実現するために、グランドデザインの構築、ヘッドクォータの設置、国のリーダーシップが必須のものとなる。
はじめに
7月30日の国内の新型コロナウイルス新規感染者数は1,301人と増加の一途を辿っており、国内の感染者の爆発的な増加が懸念される状況になってきている。5月末までの時期は、緊急事態宣言と社会経済活動の強い自粛により感染拡大を防ぐことができたが、緊急事態宣言の解除後、社会経済活動の再開に伴って、感染者数が著増してきている。感染予防対策と社会経済活動を両立させながら、感染拡大を防ぐことは容易でなく、現状では、感染拡大に対する対策が十分に機能していないと言わざるを得ない。
新型コロナウイルスのPCR検査体制について、当初より日本は実施件数が少ないことが指摘されていたが、7月30日現在、100万人あたりのPCR検査件数は、日本は6,210件であり、米国の173,695件、ドイツの95,532件、韓国の30,352件と比較して格段に少なく[1]、いかにしてPCR検査体制を拡大するかが喫緊の課題となっている。
本年2月上旬に、クルーズ船(ダイアモンド・プリンセス号)が横浜港に入港し、船内で急速に新型コロナウイルスの感染拡大が生じ、PCR検査を乗客、乗員の全員に行うことになり、われわれの大学にも厚生労働省から協力要請が寄せられた。これを受けて、本学医学部の感染症研究室に設置されていた全自動PCR検査装置を用いて、大学全体として全力で対応することとなり、その実務を、ゲノム医学研究所のメンバーで引き受けることとなった。われわれは、国難の時という認識で、研究所の全ての研究業務をストップし、4ヶ月間、毎日PCR検査だけを集中して行った。
わが国のPCR検査体制をどのように整備すべきかについて、実際に、われわれがPCR検査を実施してきた経験を含めて考察する。
PCR検査の概要
新型コロナウイルス検出のためのPCR検査は、
- ウイルスのゲノムRNAの抽出
- 逆転写酵素でcDNAに変換
- real time PCRを実施する
という流れになる。 nested PCRで得られた産物をアガロースゲル電気泳動することによっても確認ができるが、real time PCRを用いる方法のほうが一般的である。検体としては鼻咽頭拭い液、唾液などを用いるが、核酸抽出が完了するまでは、感染性があり、感染防御に対して十分な配慮が必要である。
PCR検査結果を診療に用いるにあたっては、診断確定のための陽性か陰性かの定性的結果に加えて、陽性例におけるウイルスコピー数の定量情報を提供できると、診療側で臨床経過、治療経過を評価する上で、役立つと考えられる。
なお、PCRは、polymerase chain reaction (ポリメラーゼ連鎖反応)の略語で、二本鎖DNAを加熱して熱変性させ、オリゴヌクレオチドプライマーの結合、DNA合成反応、というプロセスを40回ほど繰り返すことにより、DNA分子を短時間に大量に増幅する方法で、キャリー・マリスにより発案された。キャリー・マリスはこの功績により1983年にノーベル化学賞を受賞している。PCR検査は、検出感度が高いこと、特異性が高いことから、新型コロナウイルスに限らず、病原微生物の検出法としてゴールドスタンダードである。また、新興感染症のように新規の微生物に対して最も機動的に対応できる検査法である(抗原検査などでは、開発に時間を要する)。
PCR検査の精度管理
PCR 検査を適切に実施していくために、検体採取方法の最適化、精度管理、検査体制の大規模化など、さまざまな課題がある。
検体採取については、わが国では、現在、鼻咽頭拭い液、唾液などが用いられている。鼻咽頭拭い液については採取方法が標準化されているが、唾液の採取方法については、その手順および測定感度について詳細な検討を行い、その結果に基づいて、最適な方法を定めていく必要がある。また、無症状者に対する、唾液を用いたPCR検査の検出感度が経時的にどのように推移するかなどについても、早急に検討を進める必要がある。
PCR反応の精度管理については、一連の操作手順を標準作業マニュアルとして整備することが求められる。検体の管理についてはバーコード管理ができると、ヒューマンエラーを少なくできる。PCR反応のモニターについては、internal controlを加えて、検査精度を高めることが有用である。例えば、検体に含まれてくる被検者の細胞由来のRNase P遺伝子などをinternal controlとして用いることにより、核酸抽出からPCRの状況のモニターが可能であり、不純物が大量に混入した場合など、PCRにおける増幅が阻害されることが把握できる。後述するように、全自動装置は、検査手技のほとんどが自動化されていることから、精度管理の点でも優れている。
大規模検査体制を構築していく場合は、同時に処理できる検体数の大きい装置を使用することが大前提となり、一度に解析できる検体数が多ければ多いほど望ましい。小規模の検査室を各所に準備するよりも、大規模な検査センターを作って検査機能を集中化するほうが、はるかに効率が高く、検査の正確性の向上も期待できる。
全自動PCR検査装置のメリット
核酸抽出からPCR検査まで自動化されているので、操作が簡便。担当者の感染リスクを最小化できる
分注操作が少ないため、操作ミスによる検体取り違えのリスクが低く、コンタミネーションのリスクも最小化できる。機器のスループットが大きければ、多数の検体の処理が可能になる。
検査結果のレポートの出力まで一連のデータ処理が可能である。バーコード管理が可能な装置であれば、データの管理の点でも信頼性が高くなる。
ハイスループットの自動化装置を導入することにより、比較的少人数の臨床検査技師でオペレーションできるようになる。PCR検査装置は、新型コロナウイルスに限らず、幅広く、病原微生物の検査に用いることができるので、新型コロナウイルスの感染が過ぎ去った後にもその有用性は変わらないので、十分な検査体制を整備することにより、将来の新興感染症に対する備えとしても役立つ。
日本におけるPCR検査体制のあり方
PCR検査数を増やすべきという意見は、当初からあったが、最近になりようやく、その必要性が認識されるようになってきているように思われる。しかし、それでは、どのような態勢で、どの程度の検査数が必要であるか?というトップダウンの議論はあまり行われていないように思われる。本来は、グランドデザインを定め、そこからバックキャストして、検査体制を整備すべきである。
PCR検査における、感度、特異度、陽性的中率、陰性的中率について
PCR検査そのもののウイルス検出感度は極めて高く、感染研のプロトコールでは、検出下限としてウイルスゲノム50コピーを検出できるPCRの条件を求めている。しかし、感染が生じてから、ウイルスが体内で増殖して、鼻咽頭や唾液にウイルスが出現するまでの潜伏期の期間は、検出感度の高いPCR検査であっても、ウイルスゲノムの検出ができないこと、症状改善にともない排出されるウイルス量が非常に少なくなると結果が一定しなくなること、検体の採取手技の問題によりきちんとウイルスが採取できない場合があることなど、PCRそのもの以外の要因もすべて含めて考慮した場合、陽性と判定される割合は、70~80%程度と言われている。ここでは、控えめに70%として、考察を進めることとする。
PCR検査の陽性率とは別の検討課題として、ウイルスゲノムが存在しないにもかかわらず、間違って陽性と判断される場合があり得る。このような事象を偽陽性と呼ぶが、原因としては、例えば、他の感染者の検体や、陽性コントロール検体などが何らかの理由で混入する(ピペッティング操作のミスやコンタミネーションなど、ヒューマンエラーが多い)などが可能性として考えられる。岩手県は7月29日まで陽性者が存在せず、1,438検体の検査で、陽性者ゼロと報告されていた。このような経験からも、適切な方法で検査が実施された場合、偽陽性率は、0.1%よりも低い、すなわち、特異度は、0.999よりも高いと考えられる。より高い精度管理が可能と考えられる全自動PCR装置を用いた場合、特異度はさらに高くなると考えられる。
例えば、10,000人を対象として、事前確率0.001、感度0.7、特異度0.999の条件で検査を実施した場合、陽性的中率は41.2%となることから、診断に当たっての正確性が低く、大規模PCR検査の有効性についての懸念が示される【図表1】。しかしながら、特異度を0.9999まで高めることができれば、陽性的中率を87.5%と高めることができることから、大規模PCR検査の導入が可能になると考えられる。
図表1 |
PCR検査における、感度、特異度、陽性的中率、陰性的中率 |
事前確率(有病率)、PCR検査の感度、PCR検査の特異度に基づく陽性的中率、陰性的中率。この図では、10,000人を対象とした場合を想定して示す。 |
感染拡大を防ぐための2つのPCR検査体制
わが国で、PCR検査体制を構築する上で、次のような、2つの柱を考えることが適切である。
- PCR検査を必要とする人達に十分なPCR検査を提供する:何らかの症状(味覚、嗅覚の異常、気道症状、発熱など)があって、感染の可能性が考慮される人、あるいは、感染者への接触者などは、積極的にPCR検査を行うようにする。また、現状では、感染者が発生した場合、濃厚接触者を厳密に定義してPCR検査の対象を決定しているが、濃厚接触者に限定せず、感染者が立ち寄った施設の全利用者および全従業員について、場合によってはさらに施設近傍の地区の住民にまで拡大して、徹底的にスクリーニング検査が実施できるようにする体制が望ましい。これらに加えて、医療関係、介護施設のように、感染のリスクが高いと考えられる人々、essential workerと呼ばれる、社会のインフラの維持を担当する人々などを対象として、上記とは別枠になるが、積極的スクリーニング検査体制を新規に構築すること望まれる。
- 地域における感染拡大を防ぐために、大規模PCR検査が必要である:米国のニューヨーク州で行われているように、感染が拡大している地域では、地域住民に対して積極的にスクリーニング検査を実施し、無症状者を含めて、感染者を見出し、感染拡大を防ぐ対策を取ることに役立たせるために行う大規模PCR検査が必要であると考えられる。日本の最近の状況から、無症状者からの感染が増えていて、市中感染が増加していると考えられることから、地域を対象とした大規模PCR検査の戦略を積極的に考え、有効な感染予防対策を取る必要があると考えられる。わが国でこれまで行ってきているクラスター対策は、一定の効果があったと考えられるが、最近の感染拡大は、これまでにわが国が行ってきたクラスター対策だけでは不十分な状況になってきていることを示している。社会経済活動を止めることなく、感染拡大を防ぐためには、地域を対象とした、大規模PCR検査の実施が必要であると考えられる。逆に、検査件数が限られると、その効果は限定的になってしまう。また、有病率(事前確率)が低い場合は、効果的な検査にならない可能性が高い。例えば、事前確率が0.001であった場合は、1万人の検査を行った場合、7名の陽性者の検出に留まる。事前確率が0.005と上昇した場合、 1万人の検査で、35名、10万人の検査で350名、100万人の検査で3,500名の陽性者の把握ができる事になり、感染拡大を防ぐためには、ニューヨーク州で行われているように、大規模解析が効果を発揮すると期待される。
従って、地域住民に対して、幅広く検査を行う事が効果的であるのは、市中感染が蔓延して有病率(事前確率)が高くなっており、かつ、十分な解析規模で実施することが前提条件となる。米国のニューヨーク州では、この考えでPCR検査が実施されており、新規感染者数の減少、死亡者数の減少を実現している。ニューヨーク州の7月30日現在のPCR検査の実施数は、5,746,822である[1]。ニューヨーク州の人口が、 1,945万人であるので、全人口の約30%に対して検査をしていることになる。東京都の人口の1,400万人に当てはめて考えれば、420万の検査数に相当する数字である。
東京都の場合、7月29日時点で、入院中、調整中、宿泊療養中、自宅療養中の人数の合計が2,525名と報告されているので、有病率は、少なくとも0.00018以上と考えられる。ニューヨーク州では、7月30日現在、active cases が106,989名と示されているので[1]、ニューヨーク州の有病率は、0.0055と考えられる。都内では、たとえば、新宿区内の盛り場などを中心とするエリアなどでは、これよりもかなり高い有病率である可能性も考えられ、このような有病率のより高い地域に対しては、大規模PCR検査を実施する意義がより大きくなると考えられ、このような地域に対して資源を集中して投入することが効果的であると考えられる。
以上の考察から、地域の有病率(無症状者を含めた感染者総数の割合)を考慮に入れ、積極的な住民のスクリーニング検査を行うことが感染拡大の抑制に有効であると考えられる。疫学的な観点からも、科学的に妥当なスクリーニング計画を立案することが望まれる。
検査体制の整備という観点からは、最初の段階から、必要と考えられる十分な解析規模を実現すべく、最大限注力すべきである。実際には、その整備には一定の期間を要すると考えられるので、導入を進める一方で、大規模PCR検査を実施する地域を限定して集中的にPCR検査を行うという、メリハリのきいた対策が現実的であると考えられる。
なお、このような、無症状者を対象とした検査を、感染症法のフレームワークで行う行政検査と位置づけるのかどうかについては、検討が必要であると考えられる。行政検査とは別の位置づけにする場合であっても、その費用は国費で負担をすることが望ましいし、データは、国で一括管理し、感染状況がリアルタイムで把握できるシステム構築が望まれる。費用の点では、大規模化することにより、検査コストの低減化が可能になると考えられ、国費を投入して、実費ベースで検査が実施できるようにすることが望ましい。
どのようにすれば、十分な規模のPCR検査体制が実現できるか?
現在、行政検査の一環としてPCR検査を行っているが、このやり方では、解析規模拡大の実現は極めて困難であると思われる。大規模PCR検査センターを構築し、検査の受付から、検査の実施、検査結果の集約、データベース化まで、一気通貫の体制の構築が必要である。民間の検査会社で対応するか、あるいは、新たに検査センターを構築するかという点を含めて検討を行うべきである。そのための設備投資は、予算を惜しまずに実現していくべきである。PCR検査体制は、将来の新興感染症に対しても必要になるので、長期的視点で整備をする。この点では、われわれは、韓国、台湾の実績を学ぶべきである。
ニューヨークの例を参考にすると、東京都では、少なくとも10万検査/日程度の検査能力が必要であり、全国規模で考えると、さらに数倍の検査能力を確保する必要があるのではないかと考えられる。960検体/8時間のスループットを持つ装置を念頭におき、1日に2回検査を実施することを考慮すると、20万検査/日を実現するためには、少なくとも100台程度、あるいはそれ以上の装置が必要になる。また、試薬の供給の確保、検体採取の体制、検体の運搬体制、検体の保存体制、検査技師の確保、データ処理と管理など、これまで経験したことがない、大規模検査体制の構築が必要になる。
必要な検査規模を考えると、無症状者を対象とする場合は、中国、韓国で行われているような、10名程度の検体をpoolして解析する方法等も検討が必要かもしれない。PCR検査自体のウイルス検出感度が高いことから、このような解析方法も十分に可能であると考えられるが、 poolする検体数に応じて検出下限が上昇するので、その妥当性については、検討する必要がある。
実際には、多数の装置の納品までに一定の期間を要することが想定されるが、この規模の実現を目指して導入を開始し、一方で、有病率の高い地域を重点的に取り上げて、PCR検査の規模拡大を進めることが現実的である。これだけの規模の装置を稼働させる場合に、必要な試薬キットの確保、検査技師の確保、IT関係の人材、全体のオペレーションを統括する人材の確保が必要になる。また、全てを外資系の企業に依存することは、本年2月の時点で、装置、試薬の供給が極めて逼迫していたことを考えると、国産の装置、試薬の供給体制を拡充していくことも、国策として必要であると考えられる。
国のリーダーシップが求められる
このような大規模な体制の構築、制度改革は、予算の確保だけでなく、全体のグランドデザインの構築が必須となり、そのようなヘッドクォータの設置、国のリーダーシップが必須のものとなる。現在の状況はまさに国難と言える時期であり、国を挙げての取り組み、リーダーシップが求められている。また、産業界においても、積極的な取り組みが求められる。人材の点でも、産官学の総力を挙げて取り組む必要がある。